こばじです。
「言いかえ図鑑」という本、ご存知でしょうか。
その本を読み、自分自身が気を付けたいなと思ったことがあったので記事にしました。
目次
はじめに
アフィリエイトではないです
まずお断りすると、この記事はアフィリエイトや案件などではございません。 すべて一素人の見解です。
簡単な自己紹介
静岡県在住でIT企業に勤める20代です。
本について
「言いかえ図鑑」では、主に↓↓のことが書かれています。
- 私たちは日常会話で、あまり考えずに言葉を使っていることがある。
- 実は語彙力があるわけではない。
- 文字は知っていても、その言葉の厳密なニュアンス、受け取られ方を知っているわけではないから。
この記事は、「言いかえ図鑑」の要約ではないため、これ以上のことは是非読んでみてください↓↓
「○○よりマシ」は、自分に対してのみ使いたい
私は会社で受けたある研修をきっかけに、
物事をポジティブに捉えるようになりました。
何か悪いと思えることが起きた場合も、
「より悪いケースを想像して、それよりはよかった」と考えています。
そのことは↓↓の記事でも紹介しているので、よかったらご覧ください。
その思考は我ながらとても良いと思っている一方で、
本を読んで次のことに気付かされました。
自分以外に使うと、言われた側は「あなたにはわからない」「慰めにもならない」という思考を抱きかねない
考えてみれば、慰めになるかどうかは個人個人によって違いますよね。
例えば「本命の大学に合格できなくて、滑り止めの大学に進学することになった」という人に、
「滑り止めがあってよかったね」と声掛けしても、慰めにならないかもしれません。
確かに「滑り止めに合格していたので大学には進学できる」ことと「大学に進学できずに浪人」とでは、
おそらく前者の方が良い結果だと思います。
しかし、その人が「本命の大学に懸けていた想い」に目を向けきれずに「よかったね」というのは一種の拷問だと思います。
もちろん他人がどう思うかどうかは、こちらでコントロールできるものではないです。
しかし、だからといって何を言ってもよいわけではないですよね。
私としても聞き手が気持ちよく感じられるようにしたいです。
これは、人に気に入られたいということではなく、win-winな関係でありたいという想いのためです。
本を読んで
自分に向けてはプラスになっていた言葉が、人に向けてはマイナスの言葉になっていたのです。
それを知ってからは
「話を聞くときには共感まで。アドバイスを求められたら答えるくらいに留める」という行動を取るようになりました。
おわりに
冒頭でもお伝えしましたが、私たちが使う日常会話の中には、口癖のように意味を考えずに使っているものがあります。
気を遣い過ぎるのは逆効果ですが、「なぜこの言葉を使うのか」「どういう想いで使うのか」を考えていきたいと思いました。
感想や、「こうしたらもっと読みやすくなるよ!」などのコメントもお待ちしております。
気に入っていただけた方は是非 「読者になる」ボタンをクリックして、読者になっていただけると嬉しいです!
最後まで読んでくださりありがとうございました!